【雑談】 11 知能とは統計学的現象である、とはどういうことか

この本、面白いけど難しい。
言っていることが分からない部分が結構出てきます、

その内の一つが、
「知能とは統計学的現象である」
という見出し。

この意味が分かりますか?
私は最初分かりませんでした。

本記事ではまず、自分の言葉で噛み砕いた説明にチャレンジしてみます。

その後、本書で使われている言葉を用いて説明も行います。

読者の皆さんは、両者を見てちゃんと説明できているか、ジャッジしてくれると助かります。
もし違和感などありましたら、コメントいただけると幸甚です。

自分の言葉で説明してみる

身長の例で考える「統計的に見る」とはどういうことか

身長を一人ひとりで見れば、「170cm」「160cm」といった単なる数値にすぎません。
それぞれの数値自体には、それ以上の意味はあまり感じられないでしょう。

しかし、多くの人の身長データを集めて眺めてみると話は変わります。
平均値がどのあたりにあるのか、どの範囲に人が多く集まっているのかといった、
全体としての傾向や分布が見えてきます。

個々の数値を超えて、
「人の身長にはこうした広がりがある」という像が立ち上がってくるわけです。


脳内の神経活動を一つずつ見ても知能は見えない

知能についても、これとよく似た見方ができます。

脳の中では、シナプスを通じた電気信号など、
無数の神経活動が絶え間なく起きています。
それらは一瞬一瞬で変化し、同じ状態にとどまることはありません。

しかし、こうした神経活動を一つ一つ取り出して眺めても、
そこに「知能」と呼べるものが直接見えるわけではありません。
個々の神経信号は、身長の「170cm」という数値と同じく、
それ単体では意味を持ちにくい要素だからです。


繰り返し現れる反応から「一貫した傾向」が見えてくる

ここで重要になるのが、見方を変えることです。

無数の神経活動を細かく追いかけるのではなく、
日々の経験の中で何度も繰り返される反応や、
いつも似た結果につながる行動の取り方としてまとめて眺めてみる。

すると、

  • 新しい状況にどう対応するのか
  • 問題に直面したとき、どのように考え、行動するのか
  • どんな判断を繰り返し選びやすいのか

といった、その人なりの外界への対応のしかたが浮かび上がってきます。

このように、場面が変わっても比較的一貫して現れる行動や判断の傾向こそが、
私たちが「知能」と呼んでいるものです。


「知能とは統計学的現象である」とはどういう意味か

以上を踏まえると、「知能とは統計学的現象である」という言葉の意味が見えてきます。

知能とは、

  • 脳内の個々の要素に宿るものではなく
  • 無数の神経活動がつくり出す
  • 全体としての安定したパターン

として立ち現れる現象です。

個々の要素ではなく、
揺らぎを含んだまま全体を眺めたときに見えてくる傾向――
その意味で、知能は「統計学的に」捉えられる現象だと表現されているのです。

本文の言葉で説明

結論から言うと、
「知能とは統計学的現象である」とは、
知能が脳内に実体として存在する能力ではなく、
一刻一秒とどまることのない神経活動が、
経験の中で統計的にまとめられて生じる
“全体のパターン”として現れる現象だ、という意味である。

本文では、これを次のように説明している。

知能という現象は、
遺伝子の生み出した脳が
無数の物理的・社会的刺激の動的パターンに対して、
一刻一秒とどまることのない神経活動から
統計的につくり出した内的モデルの表れであり、
われわれはその全体のパターンを見ているにすぎない。

ここで重要なのは、次の点である。

  • 神経活動は常に揺らいでおり、固定した状態を保たない
  • 脳は、その揺らぎを一つ一つ直接扱うのではなく、
    統計的にまとめた内的モデルをつくる
  • 私たちが「知能」と呼んでいるのは、
    その内的モデルが生み出す全体のパターンである

つまり、知能とは
神経活動そのものではなく、
神経活動のまとまり方として後から見えてくる現象
なのである。


画素の比喩が示していること

本文では、この関係を「画素数の大きなカメラ」の比喩で説明している。

  • 画素一つ一つは、花でも顔でもない
  • しかし画素が特定の配置をとることで、
    花や顔という像が現れる
  • ただし、そこに花そのものや顔そのものが
    実在しているわけではない

同様に、

その集合体としての「知能」の構成要素が
どこかに実在として存在するわけではない

という意味で、本文では知能を構成主義的だと述べている。


なぜ「本質があるように見える」のか

ただし、本文は「何でもありの構成主義」を否定する。

神経活動は無機的な画素とは異なり、
どこまで分けても生命活動そのものであるため、

  • 進化・発達・学習といった制約を受け
  • 個人として、種として、時間的・機能的に
    十分に安定したパターンをつくり出す

その結果、

  • あたかも知能という「本質」が
    脳内に存在しているかのように見える

しかし実際には、それは

安定したパターンが確率的に存在している

という状態にすぎない、というのが本文の立場である。


まとめ(問いへの最終回答)

  • 知能は、脳内に実体として存在する能力ではない
  • 無数の神経活動が、経験の中で
    統計的につくり出した内的モデルの表れである
  • 私たちは、その全体のパターンを見て
    「知能」と呼んでいる
  • 本質があるように見えるのは、
    そのパターンが十分に安定しているからである

この意味で、

知能とは統計学的現象である

という表現が用いられていると理解できる。

最後に

この「知能とは統計学的現象である」という見出しは、下記の本に書かれていた内容です。
もし興味を持った方がいれば、一度手に取ってみてはいかがでしょうか。

骨のある本を読んでみたいという方には刺さると思います。

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