【雑談】 1 【物理】波数を用いる直観的な理由

 物理の世界で「波数」という言葉が登場する。
 最初にこれを見たとき、「なんだそのマイナーな単位は」と思ったものである。波数とは単に波長の逆数(もしくは2πを波長で割ったもの)にすぎない。しかし、そんな単純なものをなぜわざわざ新しい名前で呼ぶのか。しかも、単位まで「cm⁻¹」なんてイメージできず、ますます訳がわからなくなる。学生時代の私は、黒板の数式を眺めながら、「波の回数を数えたいなら“波回数”って言えばいいじゃないか」と、心の中で小さくツッコミを入れていた。

 しかし、ある日ふと気づいた。「これ、グラフにしたときに便利だからなんじゃないか?」と。
そう考えると、あらゆる謎が霧が晴れるようにスッと理解できたのである。

 結論から言えば、「波数とは、グラフが見やすくなるように工夫された、物理界の見た目調整ツール」なのである。
 人間はグラフが大好きだ。数式の羅列よりも、線がシュッと伸びている方が「なんとなく分かった気」になれる。だがグラフには暗黙の了解がある。横軸は右に行くほど大きく、縦軸は上に行くほど大きい。この「右上がり正義」の原則に従わないグラフは、もはや直感に反するのだ。

 たとえば、横軸を時間、縦軸を速度としたグラフを想像してほしい。右に行くほど時間が進み(つまり未来の時刻を指し)、線が上がるほどスピードが増す。これなら一目で「おお、速くなってる!」と分かる。

 これがもし、横軸の時間が右に行くほど時間が小さくなる、つまり過去に戻るように設定されていたらどうだろう。グラフから直観的に読み取ることが難しくなるのではないか?

横軸の時間を右へ行くほど小さくなるようにしたグラフ
一見、速度が時間経過とともに小さくなっているように見えるが、実際はその逆。わかりにくい

 
 このようなことが横軸を波長にすると起こりうるのである。光はエネルギーとして波長を用いることが可能なので、しばしばエネルギーではなく、波長を用いて表現することが多い。しかし、波長は長ければ長いほど“ゆったり”した波、つまりエネルギーが小さいことを意味する。光の世界では「波長が短いほど高エネルギー」なので、紫外線は危険で、赤外線はぽかぽか温かい。つまり、右に行くほど“のんびり”しているのだ。

 右に行けば行くほど弱くなるグラフ――これは、人類の直感に反する。右上がりこそ栄光、右下がりは敗北の象徴である。そんなわけで、「波長の逆数を取れば、右に行くほど強くなるじゃないか!」と考えた誰かがいたに違いない。まるで、地図を見たときに「北が上じゃないと落ち着かない」ようなものだ。北が下の地図を見せられると、脳がバグる。波長も同じだ。右が強い方が、なんとなく安心するのだ。

 だからこそ、波数という概念が生まれたのではないかと思う。
「1、0.1、0.01」という数があったとして、それらの逆数は「1、10、100」になる。見た目も分かりやすく、右に行けば大きくなる。数字の増減が人間の感覚にフィットする。物理学者だって人間である。わざわざ難しい記号を使うのは好きでも、見にくいグラフは嫌いなのだ。

 この「見た目の美学」は、物理の世界では案外大事である。式の美しさを追い求める物理学者たちは、しばしば数学者顔負けの“構図フェチ”である。波数も、そんな彼らの“美的感覚”の産物だったのかもしれない。「波長そのままだと右下がりになっちゃうから、反比例関係をひっくり返そう!」というノリで誕生したと考えると、なんとも人間くさい話である。

 そして波数だけでなく、似たような例が「周波数」にもある。
昔、「1秒当たりの振動数」なんて説明を聞いて、「だから何回振動したかをなぜ1秒で区切るんだ」と思ったことがある。しかし今思えば、これもグラフの都合だったのではないか。1秒あたり何回振動するかを取れば、数が多いほど右側に位置し、強い波、激しい現象として見える。まるで「1分間に何回カレーをおかわりしたか」で食欲の強さを可視化するようなものだ。

 つまり、波数も周波数も、「人類が右上がりを好む生き物である」ことの証明である。グラフの軸を見て心が落ち着くかどうか、それこそが科学の進歩を左右してきたのかもしれない。
数式の裏には、そんな人間くさい“視覚的満足”が潜んでいると思うと、物理が少しだけ親しみやすく感じられるではないか。

 結論をもう一度言おう。波数とは、物理の世界のデザインセンスである。
グラフが右肩上がりに見えるように、数式にちょっと手を加えた。その結果として、今日も学生たちは「なぜ逆数を取るのか」と頭を抱えることになる。だが、そうして悩む姿こそが、波数という概念の最大のエネルギー源なのかもしれない。

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